女子部のお姉さんの言葉が原点
中学時代友達関係に悩んでいました。
前日まで仲良くしていた友達がなぜか次の朝から機嫌が悪い。
私は原因に心覚えもなくて、やっぱり朝からそんな態度されると腹も立つわけで、
私もツンケンしておりますと、その内ケンカになってしまうわけで、
ケンカになりますと、小さく折りたたまれた紙きれが人づてに回って来るんです。
「無視すんなや!」とか、答案用紙等が配られたあとだと「いい点とったからっていい気にならないで!」とか、そんなことが何回もあって、その友達が原因で学校に行くのも辛くなってしまいました。
母に泣きながら告白した後、宗教の女子部のお姉さんが悩みを聞いてもらえることになったのです。
『つらいね、でもお友達はわざと悪者になって悠月ちゃんに人間革命させようとしてくれているんだよ。だから悪者にしてごめんねと、いう気持ちで祈ればいいと思う。それにお友達が朝機嫌が悪くても悠月ちゃんまで機嫌を悪くする必要はないよ。同じ生命状態になったらだめだよ。きっと悠月ちゃんが変わればお友達も変わるよ。もし悠月ちゃんにとってマイナスになる子なら自然と離れて行くよ」と言ってくれました。
祈りとは朝晩の勤行やお題目を上げることです。生命力の源になる感じですかね。
暗い雰囲気にものまれたりせず、生き生きが保てるイメージです。
今でこそわかったけど、存在達に決意を表明する意味になっていたんだね。
「私は本気ですよ」と知らしめるため。
そのお友達とは中学3年と高校3年の計6年同じクラスでした。(笑)
私が育ったところは都会でしたので5クラスとか6クラスとかあるのにですよ。(笑)
彼女との今は関西と関東で離れているけど、大事なお友達です!!!
そして、おわかりいただけますか?前記事の「挨拶や言葉は心を込めないと違う世界でいられる」
意味違うでしょう?
挨拶や言葉には心を込めましょう、愛を込めましょうね!